映画みた:ドライブ・マイ・カー


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観たのはだいぶ前だけど、とある機会で感想文を書いたので転機。

⭕か❌で言えば、❌派。ネタバレすこしあるかも。

 

 

『ドライブ・マイ・カー』感想

 

 映画が始まる。白む空を背景に語り始める裸の女性、隣でそれを聞く男性……。一つも嘘は書いていないのだが、その内容がまさかの「女子高生好きピ宅への空き巣常習犯タンポン置き去り話(創作)」。初見の私、しばらく続くそのシーンのあいだ開いた口がふさがらない。一方的に空き巣の話を聞かせる女性が主人公の妻の家福音なのだが、彼女は性行為のたびに続きが気になる話をし始める。どうしてもそのふしぎちゃん度合いへのモヤモヤが拭えず、なにかヒントはないものかと原作文庫を書店で購入。村上春樹は読み慣れておらず、ところどころ歯の浮く思いをしつつも数日で読了した。

 

 さて、私がどうしても解せなかった家福音の生態(?)については、『シェエラザード』という別の短編から持ってきたものだと判明した。さらにその元は千夜一夜物語。性交後に不思議な物語を聞かされるという行為、ファンタジーとしての文章でならふむふむと読んでいられるような気もするが、この映画で描かれるように実際の夫婦の生活として見せられるとちょっと笑えてしまう。しかも演劇一家の家福夫婦が千夜一夜物語を知らないはずがなく、その上で模倣しているのだとしたらなんと愉快な二人なのだろうか。

 

 これを知っている夫と浮気相手は、家福音の生前の根拠として物語を持ち出し彼女の喪失を語り合う。家福音が男たちと物語で結びついていたとして、この映画で亡くなっているもうひとりの女性みさきの母親とみさきを結びつけていたのが何に当たるかというと母親の中に居るもう一つの人格のさちの存在だろう。母親の死は友達であるさちの死でもあるという喪失。母親に親として以外の関係を求めたり持ったりするというのは親子関係においてよくあることのように思うためみさきの話はリアリティがあった。が、こう比べてみるとやはり描かれる家福音エピソードはちょっと特殊で共感がしにくいので主人公たちに少し引いて見てしまうところがある。

 

 そういえば車の中で肉声の録音テープをかけ続けているのも執着的で不気味だった。自分が傷ついていたことを自覚したあとは、別の録音を使用していてほしい。家福夫婦はちょっと私には気味悪かった。一方みさきについては、原作ではあっさり「母親が死んで正直ほっとしたくらいです」程度で流された過去の話が明かされ、お花と煙草を供えるシーンでこちらが少しほっとするなど。続編があるとしたらみさきちゃんのスピンオフを希望します!